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護法童子に会いにゆく

Mimi 2016.05.25

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 E .E.カミングスに i carry your heart with me で始まる詩がある。 冒頭部分を訳するとこうなる。

    私はあなたの心を持ち歩く
    私はあなたの心を持ち歩く。
    (私は自分の心の中にそれを持ち歩く。)
    私がそれなしでいるなんてことはない。
    (私がどこに行こうとあなたも一緒だ。
    そして私一人ですることもあなたがすることなのだ。愛する人よ)

 私の場合、この詩の中の「あなた」は信貴山縁起絵巻の2巻目、「延喜加持巻」に登場する護法童子だ。まるで私の中に護法童子が住んでいて、私の手足を動かしているかのような気がする時もある。

 例えば、ジムのプールで水中歩行している時、他人の目にはのそのそ歩くおばさんとしか映らないだろうが、私は護法童子になって、背後に飛行機雲の尾を引きながら、天空を駆け抜けているのだ。首の周りからぶら下がった剣が風になびく。剣が私の体に当たっても、傷一つ負わない。だって、私は精霊だもの。私は絵の中の童子のように、かかとから大きく足を蹴り上げてつま先を上に反らせてみる。私の前に金の輪宝が勢いよく回る。1100年の時を経て護法童子様と一体化する至福の時間。

 そんな護法童子ファンに朗報が入った。国宝信貴山縁起絵巻が史上初めて全3巻同時に奈良国立博物館で公開されるという。画集で絵は目に焼き付いているが、是非本物を見て見たい。

 そこで、友人の陶芸家のヒロコさんに、ゴールデンウィークに奈良に行かない?と誘ってみた。すると彼女は「どうせなら信貴山にも行ってみましょうよ」と提案した。

 護法童子は、信貴山に住む僧、命蓮の祈りの証である。天皇の勅使が京からはるばる命蓮を訪れ、天皇の病気治癒の祈祷を依頼する、3日後、剣の護法を身にまとった護法童子が天皇の枕元に現れるのだ。絵巻では次のようにある。「昼つかた、きとまどろませ給ふともなきに、きらきらとあるもの見えさせ給へば、(天皇)「いかなる人か」とて御覧ずれば、(天皇)「その聖の言ひけむ剣の護法なめり」と思し召す――以下略。」護法童子を見た途端、天皇は健康を取り戻したのだ。

 そうだ、護法童子の出自の地である信貴山にも行ってみよう。信貴山の宿坊に泊まる手配もした。

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 当日、奈良在住の画家のかよ子さんとその息子さんと、近鉄生駒線の信貴山下駅で待ち合わせ、タクシーで山門へ。あいにくの雨だが、大きな張子の虎がお出迎え。新緑と点在する建物の赤色が美しい対比をなす。かよ子さんをツアーガイドにして、本堂、千手院、成福院、玉蔵院、剣鎧護法堂等をめぐる。剣鎧護法堂は、赤い鳥居をいくつもくぐり抜けた先にある小さな御堂で、明かりのついた提灯がたくさんぶら下がり、華やかだ。

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 夕刻、かよ子さん親子と別れて、ヒロコさんと私は宿坊へ。私たちの宿泊先は成福院だ。とても静か。なんとお客は私たちだけとか。至る所に花が活けられ、美術品が飾られている。精進料理はおいしくて豪華。

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 翌朝、朝湯に浸かった。 朝の勤行は既に始まっていた。黒御影の浴槽の湯の中で勤行を聞いた。というより、勤行は体の中に打ち込まれるようだった。力強い声明、太鼓の響きが湯気を突き破り、水の粒子を振動させた。邪気が去って行く。浄化されたと感じた。護法童子の世界に一歩近づいたような感覚。

 その感覚を身にまとったまま、信貴山を後にする。奈良駅から巡回バスで奈良国立博物館へ。絵巻を一巻目から見て行く。色あせていても本物のオーラが立ち上る。絵巻は、本来右手で巻き取りながら、少しずつ眺めて行くもの。私は、自分が絵巻をたぐっていると想像して少しずつ歩みを進める。

 そしていよいよ2巻目。

 この絵巻は物事が起きた順に時系列で語られているのだが、唯一、時系列でなく語られる場面がある。天皇の勅使が信貴山の命蓮のもとから京に戻った場面のすぐ後、唐突に、天皇の枕頭に立つ童子が登場するのだ。童子の剣は垂れ下がり、落ち着いた姿だ。

 童子が天皇のもとに走って向かう絵は、その後に来る。この、描く順の入れ替えにより、命蓮の祈りがいかに霊験あらたかであるかを実感させる。 右に向かって走って行く護法童子が駆けているシーンの後に、左に向かって長くたなびく雲。当時の人は飛行機雲など見たことがないだろうに、この雲により童子の神々しさ、そして信貴山から京までの距離を表現しているのだ。しかも童子は1100年間駆けつづけている。そして私を含む多くの人の心をその初々しい姿で魅了するのだ。

 信貴山縁起絵巻は、日本人として生まれた感謝と誇りさえ感じさせるものだった。

 だが、私が心を惹かれた絵がもう一枚ある。護法童子の復元画である。描かれた当時、剣は銀色に光り、法輪は金色に輝き、童子の衣装は色鮮やかな色だった。

 家に帰ってから、それを思い出して、岩絵の具で描いてみた。膠で金泥や銀泥の焼きつけをするのにはてこずったが、絵巻の作者が想像を膨らませ、楽しく描いたのを追体験できた。手の指、足先や踵も赤身を帯びていて、活気が漲る。(このブログの一番上にある絵)

 今度プールに行ったら、私はこの色鮮やかな童子様と一緒に、もっと元気に走れそうな気がする。
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