ドローニン氏勝利で考えた富裕層ビジネス aman的なもの
NOBLE STATE BLOG 2016.03.17
このニュースでアマンリゾーツのことをたびたび紹介していますが、ここで少しビジネス的に見たamanについて書いておきたいと思います。というのもアマングループはカリスマ創業者のエイドリアン・ゼッカ氏がスタートしたリゾートですが、2014年にオーナーチェンジし、ロシアの富豪ウラジスラフ・ドローニン氏とイラン系アメリカ人で株のトレーダー、モデル、詩人でもあるオマール・アマナ氏がオーナー権をもつようになっていました。
当時のオーナー、インドネシアの不動産開発会社DLFがアマンを売却するという噂がたつと、LVMHグループ、PEファンドのカーライル・グループやブラックストーンなど錚々たる買い手がすぐに名乗りをあげました。ところが意外なことに、最終的にこのサンクチュアリを手にしたのはドローニン&アマナという一風変わった組み合わせのチームだったのです。
そしてもともと、なぜこの二人が?というくらい疑問視されていた、このご両人のパートナーシップはあっという間に決裂し、長い法廷闘争へと発展。それがようやく決着してドローニン氏に軍配が上がったというニュースが入ってきたのです。ふたりの世界的に抜きん出たビジネスマンが、泥沼の争いをしてまで独占したかったアマンというビジネスモデルとはいったいどういうものなのか。
アマングループの創業者エイドリアン・ゼッカ氏はインドネシアの裕福な地主の家に生まれ、もともと出版社を営んでいたのが、ホテル業界に転身。リ-ジェントホテルを共同創業しています。その後、1988年タイ・プーケットに最初のリゾートAMANPURIをオープンし、アマン帝国を築きあげるのです。
5,6年まえに機会あってゼッカ氏にインタビューをしたことがあります。シンガポールのオーチャードロードを少し外れた、植物園に近いあたりにあるオフィスで、白いポロシャツにカーキ色のコットンパンツという出で立ちの彼に、リゾートをつくる場所をどうやって選んでいるのか尋ねました。というのも以前にスリランカのアマンリゾートを取材したことがあって、実際に行ったカメラマンからコロンボからタクシーで6時間もかかった、とため息混じりに聞かされていたのを思いだしたからです。
なんでわざわざそんな辺鄙な場所につくるのか。するとゼッカ氏は「atmosphere」と答えました。雰囲気というか気配、そんな感じのニュアンスだったと思います。まだ雑木林だったり、砂漠が広がっていたりする未開の地に降り立ったときに、その土地が持つパワーを感じ、土地の声に耳をすましているうちに、どういう建築、どういうサービスがそこにあるべきか、イメージが立ち上がってくるのだそうです。そのときもアメリカ人のデザイナーの方が同席していましたが、あの独特のamanのatmosphereを作り出しているのは多分にゼッカ氏の感性が決めていることは間違いありません。
米Forbesマガジンでゼッカ氏のことをZen Hotelier(禅ホテリエ)と呼んでいたことがあります。確かにこのamanと言うブランドは禅的であります。足し算というよりはひき算。“有る”、よりは“無い”ことを魅力にしているという。たとえばボールペンという商品があるとして、ラグジュアリーの定石でいくと、そこにゴールドやダイヤモンド、あるいはスワロフスキーのクリスタルをつけるとか、そういう付加する方向に行きがちです。しかしamanの禅的方向性で行くと、筐体をなくして芯そのものが美しいペンとして機能するような、そんな方向を探るという感じでしょうか。ミニマリズムといっていいのかもしれません。
少し話を戻してアマンリゾーツのビジネスの話をすると、同じForbesマガジンによればDLFがアマンを売却すると決めた時、同グループの売上は日本円で200億強で営業利益が45億ほど。ところが稼働率は30%と、このクラスのラグジュアリーホテルの平均76%に比べると半分以下で、つまりまだまだ伸びしろがあると見られたということですね。
アジア発で世界に影響力をもつ数少ないラグジュアリーブランド、アマングループ。日本にも東京・大手町と三重県伊勢志摩に都市型ホテルと温泉旅館という違った形態のアマンリゾーツが誕生しましたが、これからの動きがますます楽しみです。未来のラグジュアリーを考える上で、とても学ぶ所が多いブランドだと思うのです。