Blog
Blog

ミューズは食卓に舞い降りる

Mimi 2016.06.13

Pocket

 5月末私たちの「定例会」が我が家で行われた。

 きっかけは、今年春の、虎さんの勲章受章祝いのホームパーティだった。虎さんとは、虎岩正純氏。早稲田の名誉教授でアイルランドの詩が専門だ。ノーベル賞作家シェイマス・ヒーニーの親友で、ヒーニーもToraiwaと名の入った詩を彼に捧げている。

 と言っても私たちの誰も虎さんを「虎岩先生」なんて呼ばない。だって知り合ったのはテラコッタを作る芸大の成人講座だったから。八十ウン歳の彼も、その娘と言ってもいい年齢の私たちもみんなクラスメートだったのだ。成人講座が終わっても、私たちは、仲良く交流してきた。それが我が家での勲章祝いのパーティとなったのだ。私は、おいしいお料理をみんなで食べて、その後中根みどりさんのヴァイオリン演奏を予定していた。

 みどりさんは都響のヴァイオリニストで、ソロでも活動している。彼女の高い技術に裏打ちされた美しいヴァイオリンの音色を聞けば、皆幸せになるのは間違いなしだ。

 ところが、おいしい食事の後、虎さんからサプライズがあった。彼の書いた英詩が出席者の手元に配られたのである。それもA3版一面にぎっしりと印刷されたかなり長い詩。”POETRY AND POLITICS SHOULD BE SEPARATED: A RHAPSODY” と題されている。

7

 はっきり言って、私以外の出席者は、英詩なんて関係ない人たち。私は、思わず皆の顔色を覗った。ところが皆さん、中に何が書いてあるのか興味津々。

And Poetry and pottery also should be separated Like pot and pee because it quickly gets foul and stinky,

 虎さんが読んでくれる頭韻“p”の心地よさ。でも中身は「詩と陶芸も分けられるべきだ。尿瓶と尿のようにね。一緒だとすぐに腐敗して臭くなっちゃうから」なんていう内容。でも訳だけしても無駄なのだ。だってこの詩は韻と、そこから来るイメージを楽しむように出来ているから。

 虎さんは同音異義語の反復が駄洒落としか理解されないことに反発し、笑い=不真面目という風潮を批判する。

 ところどころに真面目な一節も出てくる。

  Plato and poetry are different things to be separated And Plato has left so many mischievous lies in philosophy

「ねえ、鉛筆貸して」皆一生懸命メモを取りながら虎さんの説明を受けている。

 さてさて、虎さんの詩の「講義」の後には、みどりさんのヴァイオリン・タイム。みどりさんの300歳のイタリアのヴァイオリン、ロジェリ、うちにある200歳のフランスのヴァイオリンなど計3台のヴァイオリンを同じ曲で弾き比べてくれる。名人が弾くとどれも良い音で、音の違いはわかってもそれぞれ優劣つけ難い。

   その時、実は私には困っていたことがあった。すり餌から育てて手乗りになった生後2か月のセキセイインコ、ピクチャが、数日間私が外国に行っている間に手乗りでなくなっていたのだ。ピクチャは非常に引っ込み思案で寡黙な小鳥だ。

 そのピクチャがみどりさんのヴァイオリンと一緒に突然歌いだした。みどりさんがピクチャの好きな音域の曲を弾くと、ずっと歌いっぱなしだ。 そして何と、ヴァイオリン・タイムが終わるころには、また手乗りに戻っていたのだ。私の指にちょんと止まったピクチャにみんな拍手喝采。

 集まったのはお昼頃なのに、いつの間にか夜八時を過ぎていた。 すると、みどりさんから嬉しい提案が。「ねえ、これを定例会にしましょうよ。」

 前置きが長くなったが、そこで、5月の末、その定例会が実現した。 パーティの始まりは12時だけれど、11時頃から皆来てくれる。会場の設営を手伝ってくれるのだ。ルンバ君が出来ない場所の掃除とか、ぼうぼうになった観葉植物を見映え良くしてくれたり、お料理を手伝ってくれたり、やることは山ほど。

 パーティの案内状には、An empty stomach and something to eat. (空いた胃袋と食べ物)と書いておいたので、皆何か持ってきてくれる。私が今回計画した肉料理は2品。ゴードン・ラムゼイの本にあるポークにマッシュルーム入りトマトソースをかけたもの。もう一つはチキンを、ニンニク、タイムとシェリー・ヴィネガーで炒め、蜂蜜、醤油を加えてから最後にレモンの輪切りを加えてぶくぶく煮立たせるもの。(このレモンチキンは大好評で、皆自分の家に帰ってから作ったそうだ。)

6 2 3

 【ゴードン・ラムゼイのレシピによるポーク、チキン料理が載るひまわりの皿、ポピーの皿はいずれもMimiさんの作】

  おいしいものがいっぱいのテーブルの写真はトップをご覧ください。

 最後に虎さんがやってきて、のっけから冗談をかましてきた。何とおみやげにコンビニ弁当を買って来たのだ。「ええ?」と目を白黒する私に、「だって持ち物にSomething to eatと書いてあったでしょ」ですって!!!

 お食事の後は虎さんの詩の講義。今回は「第一回」ということで、イギリスの地図を広げて、歴史や地理の概説。

4

 次に皆でアイリッシュの歌を歌う。Danny Boyに I’ll Take You Home Again, Kathleen等。伴奏は、みどりさんのヴァイオリンと音楽教師の喜子さんのピアノ。次に詩の講義。詩とは何ぞやというのをナーサリー・ライムの例から紐解いて解説。言葉の妙味で新しいイメージが湧くことがわかる。虎さん曰く「テラコッタときたら、やなコッタ、って僕はすぐ続けてしまう。」「肩コッタっていうのは?」と私。皆で笑いながら詩の世界を楽しむ。

 次はヴァイオリン・タイム。今回みどりさんが弾いてくれたのは、アイリッシュの曲。どんなに明るい曲でも、何か哀愁のようなものを感じ、心に染み入る。

5

 みどりさんの演奏を楽しみにしていたのは私たちだけではない。ピクチャもずっと鳥語で歌う。

 次回の再会を約束し合って、会は終わった。

 シェリーの詩に次のような一節で始まる詩がある。

Music, when soft voices die,
Vibrates in the memory

音楽は、優しい音が消えた後も、
記憶の中で震えている。

 多分私たちのこの日の会もそんな風に心に残る会になるのだろう。おいしいものを食べて胃袋を満足させるのも良い。だが、本当の満足とは知的な好奇心と、感性が満たされた時に感じるのではないか。

 みどりさんが言う。「父がきっと天国で喜んでいるわ。私のヴァイオリンで皆を幸せにしなさいって言っていたから。」
 みどりさん、これからもお願いね。そして虎さんも。何しろ虎さん、八十路(やそじ)から連想して九十路(くそじ)という言葉を作った。その九十路になったら、「九十路(くそじい)の展覧会」をするのを楽しみにしているのだそうだ。私たちも応援していますよ。
Pocket